異業種と深く関わるシゴト・社会問題とデザイン会社の関わり方
- コミュニケーション
- ビジネス
- 名言
- 自戒
フィンテック・スマート農業・医療IT化など、今年は一般的な顧客の生活に関わりの高い業界のスタートアップのデザイナーとして今まで以上に多く関わらせていただけた1年だった。
そんな今年は特に感じた私なりの異業種との関わり方について書いてみた。元々「専門知識もない第三者がビジネスに関わってクライアントが満足するのか?」ということを言われたことがあり、それについてはやってみないとわからないことがあり、もちろん勉強は必要だということ。
あと、クライアントを満足させるということは個人的には無意味だと思っている。またこれについてはデザインラボで書いてみたい。
分野のシロウト、プロモーションは毛を生やす
依頼をしてくれている業界のことがわからないと、なかなかデザインのアウトプットに行き着く前段階で息切れしてしまう。と言っても前回の記事「それぞれの分野のプロフェッショナルと、シロウト感覚(コラム)」のような考えが大切だと思う。
「顧客の時代」なんて言われている今だからこそ、プロフェッショナルの専門的な意見ばかりを通すのではなく、顧客側に近い私たちのシロウトな意見をどう向き合わせるか?が大事。ただ、どう向き合わせるか?が難しく、私たちもただ無知なばかりではいられないときもある。
誤解を恐れずに極端な言い方をすると、アプリのUIデザインの場合その業種からシロウト的立場になりきり、そのLP(ランディングページ)などプロモーションに関してはシロウトから少しだけ毛を生やす。UIデザインというと画面の見た目と思われるかもしれないが、ここで言うのは「顧客接点や導線」に関係するUIの意味でシロウトの目線が大事、例えば、、
専門性の高いアプリを顧客に使ってもらうと、ラベリングやワーディング一つでも専門用語を使ってしまいがちであって、発注者側にはシロウト的な観点から指摘し合える関係性を持ち続ける必要がある。
あるいはクライアントが考えた「顧客にとってはこのほうが親切だからこう行動するだろう」と仮説立てた質問形式のUIを私たちはシロウト的な視点で触れてみなければならないときがある。そんなとき素直に「何が私(顧客)にとって得することなのか?」という難しいこと抜きにストレートで新鮮な気持ちでダメ出しをしてあげなければならない。だからシロウトのまま真剣に向き合うことが大事なのだろう。
しかしプロモーションのデザインに関わる場合において、仮にほんの一部のWebページデザインだけを担当する場合であったとしても、シロウトからちょっとだけ毛を生やすようにしている。
毛を生やす = 向き合う
新鮮なシロウト目線を忘れずにその業種におかれた現在の課題、あるいはその過去の経緯という歴史的な事象を学ばせてもらうことが必要になってくるとも感じた。
そのときのコミュニケーションとして、私は異業種の現場になるべく足を運ぶこと、これを基本としてみた。
ある農業IT化をしたいクライアントからのデザインの依頼を受けたときの話。農業のIT化、というと、畑にセンサーをつけて作物の状況を監視することなんて思うかもしれないが、実際技術をつかってコストをかけてそこだけやっても経営的な視点で見るとその農家はただ支出負担が増えるだけで技術導入など無意味だ。そうなると経営者視点からしいては人口過疎化した農村をどう活用するかという社会問題にまで視野を広げる必要があり、そうなると農家の経営者やそこで働く人、そして技術導入しようと考えているクライアントと一緒に会って話を聞いてみることでその業種が抱える問題を少しだけでも見ることができる。
そんなクライアントから書籍を紹介された、「スマート・テロワール : 農村消滅論からの大転換」を購入して読んでみた。著者は元カルビーの社長である松尾雅彦氏。日本の国土は狭いにも関わらず、食料自給率を高められる農業の可能性や伸びしろは大きい。安く新鮮な地元の食材が自給できるはずにも関わらず、加工費や物流費といった大都市部のコストをかけて「東京価格」でスーパーに食材が陳列され、結果的に地方が貧しい思いをする問題も、この本では30年後に東京を養っているのは農村だという見出しも書かれている。おそらくこの構想を実現するのは農業のプロフェッショナルだけでは難しく、第三者がデザインに依頼を受けたとき、社会の問題を勉強して、足を動かしては現場を見て、プロフェッショナルの話を聞くことから始まるのだろうと。農業関連のプロジェクトは非常に多いと思われるので、デザイナーも必読かと思われる。
私たちは、かかりつけ薬剤師制度に向けたサービス「かかりつけホッとライン」のプロジェクトに参加している。今年4月から「かかりつけ薬剤師」という制度がスタート。簡単に言うと(語弊があるかもしれないが)国民一人ひとり、医者ではなく薬局の薬剤師を主治医に持つというコンセプトだ。その背景には少子高齢化という問題もあり、国民医療費は40兆円超え…このままでは破綻するとまで言われている。クライアントと話すとわかったことは「薬剤師を主治医に持つことで健康対策を気軽に行え、大きな病気になることを事前に防ぎやすくなる」ことで、医療費問題への対策にもつながると言われている。2025年には全ての薬局がかかりつけ薬局になることを目標とした制度でもある。そしてこの制度が始まってわずか2ヶ月程度で、かかりつけ薬剤師に認定された薬剤師は全体の40%を超えたというスピードもあり、医療業界の注目度の高さがうかがえる。
ただ、そこに行き着くにしても現場の薬剤師の今までの業務とは違う能力を求められるもので、人によっては向き不向きが分かれるところだという課題もある。こちらの医療のプロフェッショナルと医療のシロウトがちょっとだけ毛を生やして今もディスカッションして、サービスデザインを行っている。
いかにデザイナーが社会問題とコミュニケーションを取らないといけないのかが分かる。ここでのコミュニケーションの取り方として、医療系のセミナー、カンファレンスに足を運んだ。
今年7月に秋葉原コンベンションホールで開催された日本コミュニティファーマシー協会主催の「第3回コミュニティファーマシーフォーラム – 発信!発進!コミュニティファーマシー – 」というセミナーに参加してみた。かかりつけ薬局が患者にむけた接点をどうやってデザインしているか?という発表を行っていたがどれもユニークだった。参加してよかったのは、薬局で起こっている取り組みのレベル感が見えたこと。それが今後サービスを展開していくにあたって大きなヒントになったということ。やはりここでも「地域」というキーワードが出てきた。理事長の「地域を巻き込み、地域に巻き込まれよう!」という言葉が印象的だった。
異業種にシロウトのデザイナーのキャリアアップ、それは現場に踏み込んで、問題とコミュニケーションをとること。今年はそれを再認識した年だった。
(名言より)待っているだけの人たちにも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人たちの残り物だけである
記事とは関係ないかもしれないが、世の中の偉人の名言から、今年クライアントワークの中で考えさせられたことと重なった気がするので追記。
「待っているだけの人たちにも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人たちの残り物だけである。」
エイブラハム・リンカーン(政治家 1809-1865)
プロジェクトに参加するだけで(所属するだけで)契約だから最低限言われた通りにやればその分のお金はもらえる。
言われたことしかやらない人とそうでない人。
努力がどうであれ、カタチに残したかどうかのほうが問われやすい世の中なので、対価は平等に与えられる。
「指示待ち人間」ってネガティブに揶揄されがちだが、指示を待つこと自体が悪いとは思わない。
よくないのは、「見積もり叩かれた、安いな」とか「給料が上がらない」とか不満を口にする場面で、実はただ単に「残り物(おこぼれ)」にしかありつけなかった…金額ではなく努力に負けたのだということに気づけという自戒だ。
ただ待っているだけの人たちに多いコンテンツ制作業は単価が下がるところはどんどん下がってきている。
もしも見積もりを安く叩かれたときには、まだまだ自分は「待っているだけの人」の部類に入るんだろう。
金額の勝ち負けではなく、努力の評価が金額につながるというシゴトへの向き合い方を解釈した名言。
関係者の皆様へ
今年は色々な皆様に支えられて、好きなお仕事をさせていただけました、ありがとうございます。
来年も正面からお付き合いさせていただき、少しでもいい結果を残せるよう努力したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。