新しい発見は孤独から得られる
- 異文化
言葉も通じない外国で1人になることは不安ですが、現地のガイドさんにばかりに頼るというのは異文化に触れる機会を失っているように思えました。昨年、私は結局ベトナムに3回も渡航していました。現地オフショア企業の方のもてなしが強く、私たちが滞在している間、毎日のようにショッピングや食事をガイドしてくださいます。もちろん、こういった心遣いは大変ありがたいですし色々な意味において感謝していますが、いつしか自分ひとりで行動し始めました。
そうしなければ逆に得られなかったことがあります。できることは人に頼らず自ら動いてみる、その結果、人がしてくれていたために見えなかったものが少しずつ見えてくる。そういえはデザインラボのメンバー、高橋くんは半年間、世界を旅してそれを実行したんだなと感心しています。
独りだからこそ得られること
言葉の通じない国で自分ひとりでタクシーに乗り、飲食店に入り、路上で飲み物を買う。なんとなく踏みとどまる理由は単に小心者の体質からくる失敗への怖さだけなのかもしれません。「意図が通じなかったら気まずいよな…」と。でもできたときは案外「なんだこんなもんか」とあっけなかったりする、せっかく来たんだからちょっとしたコミュニケーションはスリリングであり達成感もある。
例えばモバイルWiFiやスマホの電池が切れたという状況の中、タクシーさえ乗れたらとりあえずホテルまでは帰れる手段を自分で持っておく。最悪なトラブルに相談できる人が現地にいてくれたほうがいいですが、一日中つきっきりでいてもらう必要はないと思います。
日本の飲食店は清潔で食べ物も安心。アジアの中だけでなく世界的にもそのクオリティは高く評価されています。一方でアジア諸国の中でも衛生面では良くない飲食店も多く、皿が洗われていなかったり、料理に髪の毛が入っていることもしばしば。それを店員に指摘しても何も悪びれない態度を取ります、クレーム大国の日本人からすると心象を悪くする人も中にはいるでしょう。クレームをつける自分が嫌な人に見えるのが嫌なのか「せっかく来たのだから楽しくいたいじゃないか」と臭いものにフタをして取り繕うのは日本人特有の文化なのかもしれないです。
日本で売っているものの多くは何の疑いもなく品質の高いものばかり、粗悪品なんてそうそうない。タクシーや電車の運転中にスマホでゲームなどしてるものなら懲戒免職モノ。これらは真逆の文化であり、ある意味守られた環境の中で生活している日本人だからこそ、そのギャップを楽しむくらいでちょうどいい気がしています。
帰国の日に空港までのタクシーを予約したのですが、なんと15分も遅刻してきた。なんの悪びれもなく運転中はやたらスマホをいじっては電話している。(飛行機に遅れたらどうするんだ?)これも習慣といったものでしょうね。
旅の恥はかき捨て
ベトナムは自販機がほとんどありません、そのため路上で打っているおばあちゃんに水をくれと頼むわけであるが、当然言葉が通じない。
「How much?」と聞くと指を10本だした。これは10万ドンか?1万ドンか?
一呼吸時間を置いて冷静に考えたらわかるはずなのだが、リアルタイムで対面していると焦ってしまうのも人間というもの。10万ドンは約500円、ペットボトルの水でそんなにするわけがない、1万ドンで約50円なのでサッと1万ドンを渡す。もしここで10万ドン先に渡してしまったらしれっとそのまま「OK」みたいな顔をされて、人のいい日本人は「合ってた、よかった」と雰囲気にごまかされてしまうかも。判断が付かない場合は少ないと思った金額を手渡して、「No No」みたいなジェスチャーをされたほうがいいのは自分流であります。
間違っても恥じゃない、旅の恥はかき捨てである。と、同時にこれもスリリングである。
あと、言葉が通じないことをいいことに、道行く人に声をかけてみた。「アポーペン」と。こんなバカな振る舞いだと日本では気味悪がられるが、私が外国人なだけに寛容な笑顔で返してくれる。なんとなく恥ずかしがりな日本人なだけに外国でしか楽しめないやり方な気がする。
日本語に酷似したベトナム語
現地の人がみんな英語をできるわけではないにせよ、世界で最もポピュラーな言語である英語は困ったときに役に立ちます。そんなに英会話のスキルが高いわけではないのですが、数字の読み方すら違う国だと困るので、本当に基礎的な単語を並べるだけでも伝わることがあります。それでもダメなときはスマホがある、電卓アプリを出して金額を確認したり、Google翻訳アプリなど今は便利です。
自分で行動を起こすことでその出来事はより記憶に深く刻まれます、これは様々な学習をするときに聞いて学ぶより自分で復習しさらに人に教えることでスキルというのもはアップすることと同じだと思います。
ところでちょっと日本語がわかる現地人から教えてもらったんですが、ベトナムは昔中国の支配下にあって漢字文化(漢越語)が言語のベースになっていて、リゾート地ダナンの近郊にあるホイアンにはまるで中国のお寺だらけという話しを聞いて、思い切ってハノイからダナンに行ってみました。
本当に中国としか思えない、まるでブルース・リーが出てきそうだった。
そしてこれも直接現地の人とのコミュニケーションで発見できたのですが、日本語と似ているベトナム語が非常に多いこと。「お茶」を「trà(チャー)」と発音し、「注意」は「Chú ý(チューイ)」他にも酷似した言葉がたくさんあるらしい。さらに「ありがとう」をベトナム語では「Cảm ơn(カムオン)」というが漢越語で正式に書くと「感恩」、恩を感じると書く。なんとなくカン・オンからカム・オンと読める。
文化や歴史を知るというのはとてもおもしろい。
自分でやれることはやり、行き先を自分で決める
今年2017年の抱負、というと大げさかもしれませんが、私個人の目標は「少しだけ自分を孤独にしてチャレンジしてみる」ということです。孤独というと淋しいキーワードのように感じますが、自ら得るためには自分で動くしかない、という意味でとてもポジティブな意味だと考えています。
今回の旅の経験で得た新しい発見は、自分のシゴトのスキルアップの方法にも似てる気がします。確かに今回書いたことはリスクもあるけどそれも自己責任、人のせいにはできない。
実際今回の旅で前半お腹を壊し、ずっと鈍痛のような腹痛が続きました。失敗も経験であるということ。
まるでサバイバル、人生そのもの。
今年のデザインラボはそういう意味で自分なりの新しい発見があれば、他人受けなど気にせず、楽しみながら書いていきたいと思っています。どうぞ本年もよろしくお願いします。